デジタルヘルス解説集 東京慈恵会医科大学 先端技術情報研究部

2022/01/07 「PHR」の普及を進めるための技術的課題

東京慈恵会医科大学 先端医療情報技術研究部 高尾洋之

PHR(Personal Health Record)については、当サイトでも定義を示したところだが、デジタルヘルスが人々の健康維持、治療に役立つためにはこれらのデータを取り扱う環境、セキュリティ確保を大前提とした医療介護関係者への適切な開示の仕組み、各ステークホルダーが持つ情報を必要に応じ交換できる規格の確立が欠かせない。今後はその技術的ディテールの理解や実装する取り組みが必要となるので、その基礎となる情報を整理したい。

PHRの示す範囲
当サイトでは「個人が自身の医療に関わる情報や健康に関するデータを記録し、自身の手元で管理するしくみ」と定義し、幅広にとらえている。つまり、血圧や心拍、血糖値、歩数、運動量、消費カロリー、食事内容や摂取した栄養素、健康診断の各指標の値といったものだけでなく、「手元で管理する」ことができれば、病院での検査データ(医用画像含む)や処方箋情報、紹介の際に必要となる診療情報提供書も範囲内だと想定できるということである。実際、iOSの「ヘルスケア」アプリでは「診療文書」という名前で病院が取り扱うデータの受け入れ、表示も可能となっているし、そもそも「Personal」の意味を「その人が保存する」と狭義に捉えずに「その人の情報」と素直に考えれば、自然に導かれる定義と考えられる。保存先によって取り扱い方を縛ることなく柔軟に参照できるようにすれば、必要な情報をいつでも統合的に扱えるようになり、健康につながる行動や治療に寄与することは論を待たない。

実際の運用指針、ルール
だが、現実には病院が取り扱う「電子カルテ(EHR,EMR)とPHRは明確に区別されており、それぞれの情報の取り扱い方、ルールも違ってきている。例えばPHR側では経済産業省がルール作りを統括しており、「民間PHR事業者による健診等情報の取扱いに関する基本的指針」を2021年4月に策定しているが、その対象とする事業者は「健診等情報を取り扱う民間事業者」で、モバイルヘルス機器を取り扱う事業者は含まれていない。また対象とする情報も「健康診断等の情報」「自ら測定記録するもの」「医療機関から提供され、自ら入力するもの」となっており、医療機関が記録するものをインポートしたり、取り入れることはほぼ除外されると受け取れる内容となっている。

またこの指針では、情報の保存規格について「互換性の高い汎用的なデータファイル(例えば、HL7CDA 等)※1」にすることを求めているが、特に強制力があるものでもなく、また繰り返すようだがスマートウォッチ等を販売する、いわゆるIoT事業者は対象に含まれていない。つまり毎日のバイタルサインの情報を、もし必要があってその機器以外、電子カルテやその他PHRを取り扱うなんらかの仕組みへ移行させようとしても、データが読み込めずに利用できない可能性が十分にありえるということだ。

医療機関が取り扱うEHR(EMR)については、そもそも患者に直接開示することは想定されていない。紙でのカルテ開示という意味では、所定の手続きをとれば有料で閲覧できるようにはなっているが、例えば院内で行なった検査データや、処方箋データを自身が直接スマートフォンなどに取り込んで取り扱うことは、一部を除き殆ど出来ていない※2。しかし医療機関同士で情報交換する際の規格に関しては、保健医療福祉情報システム工業会(JAHIS)が標準規格を多く定めており、条件整備はある程度進んでいると言える。

まとめると、現在のところ「PHR」と呼称される範囲内のデータのうち、モバイルデバイスで計測できるバイタルデータは互換性が担保されていない可能性があるうえに、健診データ、検査データについても、ガイドラインで規格を推奨されてはいるものの、強制力があるものではない。さらに医療機関での検査データや医用画像についても、患者自身が手元のデバイスで管理できるような状況ではない。

なお付言すると、モバイルデバイスで計測されるバイタルデータ等をオンライン診療時に利用できれば有用であろうことは明らかだが、現在のオンライン診療指針では、ISMSといった医療機関向けのいわゆる「医療情報システム」に求められるセキュリティ規格に適合していない限り「診療にかかる患者個人に関するデータの蓄積・残存の禁止」が明記されているので、バイタルデータを保有するモバイルデバイス側、オンライン診療システム双方で「診療時に一時的に表示はするが保存せず、その後確実にデータを消去する仕組み」を組み込まなければならないなど、継続的なデータ利用の観点においてはまだ考慮すべき点が多々あることも指摘しておきたい(「Join」のようなセキュリティ規格に適合したものを利用するのであれば別である)。

※1 HL7CDA 等
この表現は「民間PHR事業者による健診等情報の取扱いに関する基本的指針」に記載されているそのままを例示したものだが、指針としては「HL7」の名称で国際規格として定められている医療情報のデータ連携規格の遵守を求めていると解釈できる。なお「HL7」規格は技術の進展にともなって「V2(テキスト)、V3(XML)、CDA、FHIRとバージョンが進んでおり、最新のFHIR(ファイアと読む)は、インターネット通信技術を活用し、環境整備をしやすくするものとして制定されている。

※2 電子お薬手帳サービス事業者が、ICカードを媒体に調剤情報、検査情報を格納する取り組みはある(harumo)。また、一時期佐賀大学が患者に対しICカードやスマホアプリを経由して一部の診療情報を開示する「Mirca(ミルカ)」という独自サービスを展開していた。なお電子処方箋については厚生労働省が指針を定めたものの、実用例が蓄積されなかったため2020年に一部改定した